特集「パデレフスキの生涯」に寄稿。
刊行を控えた訳書「パデレフスキ自伝」の補遺章として書き下ろした内容のダイジェスト版。
全訳で詳しく語られている半生の要約に加え、自伝には掲載されていない後半生について触れています。
第一次世界大戦後に政治家へと転身したパデレフスキがどのようにステージに戻っていくのか、そして、
ショパン全集の編纂はどのように進めていたのか、知ることができます。
ショパンの“バラスケ”
カップリングの理由とそのメリット
(「ショパン」2015年10月号)
特集「ショパンのバラード&スケルツォ」に寄稿。
バラードとスケルツォはなぜカップリングされることが多いのか、という疑問を、4つの観点から検証しています。ルービンシュタインの1950年代の録音に遡り、カップリングの理由とメリットについて考えました。、
ピアニストのバイブル!? ショパンのエチュード
「指のトレーニング」から「孤高の芸術作品」へ〜その歴史的意義〜
(「ショパン」2015年9月号)
特集「ショパンのエチュード」に寄稿。単なる指のトレーニング用に書かれていたエチュードを、ピアニストの演奏会用レパートリーにまで高めることとなったショパンのエチュード集。その歴史的意義を検証しました。
エチュードの歴史に触れ、そしてショパンと同時代人の作曲家たちが書いたエチュードと比較しながら、ショパンのエチュードについて考えていきます。
ラヴェル生誕140年
ラヴェルの音楽とは?〜ラヴェルから私たちが学ぶもの〜
(「ショパン」2015年4月号)
特集「ラヴェル生誕140年」に寄稿。ラヴェルの音楽について「古典への敬意」「先人児たちの影響」など、7つの観点から概観しています。視点を変えることで、ラヴェルの音楽がどういうものだったのか見えてくるのでは・・。そう願いながら執筆しています。
難しすぎもせず、易しすぎもせず
聴衆を楽しませる華やかなピアノ協奏曲〜モーツァルト《ピアノ協奏曲》〜
(「ショパン」2015年2月号)
特集「モーツァルトのピアノ協奏曲」に寄稿。断片や単一楽章を入れると30曲にものぼるモーツァルトのピアノ協奏曲。「難しすぎもせず、易しすぎもせず」をモットーに書かれた成立の背景に触れ、全曲を解説しています。
1曲につき数行という厳しい字数制限ではありましたが、ほとんど演奏会では取り上げられることのないような初期の作品や断片などの解説にも目を通して頂けると、全体像を掴みやすいのではないかと思います。
近代文化はどのように形成されていったのか〜パデレフスキの演奏活動を例として〜
(「音楽の世界」2014年6月号)
19世紀末から20初頭にかけて、全世界を演奏旅行していたパデレフスキの活動を、文化の形成という視点から検証しました。パデレフスキの自伝の中で語られていた様々なエピソードから、当時の音楽家や音楽関係の職業の社会的地位、様々な文化人との関わり方に触れています。
あの序曲抜きにして、なぜ名作として歴史に残ったのか (「音楽の世界」2012年8、9月号)
9月のオペラ公演とタイアップさせた特集「オペラ公演と喜歌劇」に寄稿。
運動会のBGMでもお馴染みのオッフェンバックの《地獄のオルフェ(天国と地獄)》序曲が、実は初演から16年経って付け足されたものであることに触れ、
あの序曲なしで、なぜ当時、大当たりをとったのか、という謎に触れています。
財政的な事情から大当たりを狙わざるをえなかった製作サイドの事情や、初演前の話題作りの工作など、
現代のTV視聴率競争にも通じる当時の状況が垣間見られます。
《子供の情景》にみるシューマンの童心 (「音楽の世界」2011年11月号)
特集「芸術に表れたこどもの世界」に寄稿。
子供のための教材的作品は多いですが、大人が自らの童心に焦点をあてて
子供の世界を描いた作品は意外と少ないものです。
大人の視線から描かれた代表的作品ともいえるシューマンの《子供の情景》を取り上げて、
シューマンの童心について考察しました。
クララとの往復書簡から読み取れるこの作品の成立事情や解釈について書いています。
「子供の作品=回顧的」ではないことを明らかにしていきます。
《カルメン》の衝撃 (「音楽の世界」2011年8、9月号)
オペラコンサートに合わせた特集「カルメンをめぐって」に寄稿。
当時、ハッピーエンドの喜劇を上演していたオペラ・コミック座で初演されることとなった恋愛悲劇《カルメン》が、当時の人々にどのような衝撃を与えたか、ということを検証しています。
劇場や歌手たちの反対を押し切り、初演に挑んだビゼーの奮闘ぶりが書かれています。
オペラ・コミックにみる「笑い」 (「音楽の世界」2010年8、9月号)
9月のオペラコンサート(日本音楽舞踊会議主催)に合わせた特集「音楽と笑い」に寄稿。
喜歌劇の歴史を辿りながら、「笑い」の要素のない作品もあるオペラ・コミックについて、
その曖昧な定義の理由について考察しました。
当時の劇場が抱えていた経済的な理由などにも踏み込んでいます。
ショパンの舞曲、徹底攻略(コラムの執筆) (「ショパン」2010年8月号)
特集「ショパンの舞曲、徹底攻略」のなかで、舞曲に関するコラムを2本執筆しています。
編集部からの「なにかおもしろく読めるエピソードを」とのリクエストでワルツにちなんだものを書きました。シュトラウス親子の話と、激務に追われたシュトラウスT世の話を書いています。
パデレフスキ生誕150年によせて (「ショパン」2010年6月号)
ショパンの校訂楽譜「パデレフスキ版」でもおなじみのパデレフスキは、
ピアニストであり作曲家としても活躍したポーランドの音楽家です。
彼の生涯を辿り、ピアノ作品を紹介しました。
また、パデレフスキ版の出版やその歴史的意義についても問題を提起しています。生涯を調べるにあたり、桐朋の図書館から70年前に出版された自伝を借りました。ページをめくると紙が破れそうなくらい劣化していたので、90度くらいに開きながらおそるおそる読みました。
ヘンデルとバッハ〜同年のふたりの共通点と相違点 (「ショパン」 2009年12月号)
ヘンデル没後250年特集のひとつ。
同い年のふたりは、ヘンデルが「音楽の母」、バッハが「音楽の父」と、音楽史のなかで「夫婦」の位置づけがなされています。
このふたりを、職歴や人物像、得意な楽器、創作活動の特徴、作風・語法の特徴に至るまで一覧表にして徹底比較しました。また、ジャンル別にそれぞれの代表作品を紹介しています。
ハイドン没後200年に寄せて〜ハイドンの生涯と作品 (「ショパン」 2009年7月号)
ハイドンの没後200年を記念した特集。聖歌隊で活躍した少年時代から、
多忙をきわめた楽長時代、そして栄誉に囲まれた晩年までを辿りました。
別枠のコラムで、「ホーボーケン番号について」「シュトゥルム・ウント・ドラング」の話などを載せています。
編集部から「ハイドンの首が行方不明になった事件も取り扱って欲しい」とのリクエストがあり、
「150年後におこなわれた2回目の葬儀」というコラムを追加しました。
楽聖たちの結婚&告別式 (「ショパン」 2009年6月号)
6月に合わせた粋な特集。
以前の「20歳の大作曲家特集」と似た企画で、14人の大作曲家たちの結婚と告別式の様子を調べました。
20人の子だくさんだったバッハから、実生活ではパパにはならなかった「パパ・ハイドン」、
いくつも死因説のあるモーツァルト、そして難病のために悲劇的な晩年を送ったラヴェルまで、
実に波乱万丈な人生が並びました。
告別式で演奏された音楽や、埋葬された墓地も、可能な限り調べて載せています。
グラジーナ・バツェヴィッチ 20世紀を駆け抜けたポーランドの作曲家
(「ふぇみん」2009年3月15日発行)
婦人民主新聞「ふぇみん」で連載されていた「女性作曲家再発見!(監修 小林緑先生)」の
第8回「グラジーナ・バツェヴィッチ」を執筆。
バツェヴィッチはポーランドの女性作曲家でヴァイオリニストとしても活躍しました。
数年前に女性と音楽研究フォーラムの例会で研究発表した内容に新しい情報を加えて、まとめました。
キーワードで辿るメンデルスゾーンの作品 (「ショパン」 2009年2月号)
生誕200年を記念した記念したメンデルスゾーン特集で、
彼の残した250曲の作品をキーワードを辿りながら外観しています。
「標題音楽」「劇音楽」「バッハをめぐって」などのキーワードが登場します。
後世の評価にも触れています。また、メンデルスゾーン家の由来や、指揮者としてのメンデルスゾーンについてのコラムも執筆しました。
メシアン、人と音楽 (「ショパン」 2008年8月号)
メシアンの生誕100年を記念した特集。
メシアンの生涯や音楽語法を辿ることによって、彼の残した功績をあらためて検証しました。
音楽語法については彼が自ら「4つの困難」と名づけている
「リズム」「カトリック信仰」「鳥の歌声」「移調の限られた旋法」を中心に説明しています。
親日家として、そしてオルガニストとしても有名だった彼の一面もコラムで紹介しています。
シュトックハウゼン追悼 電子音楽ってなに?(「ショパン」 2008年3月号)
前年2007年12月に亡くなったシュトックハウゼンの追悼特集。
電子音楽の歴史を簡単に振り返り、そのパイオニアとなったシュトックハウゼンの活動の軌跡を追いました。細かい図形楽譜や、その上で可動させるための透明なプレートを
どのように編集部に送ったら綺麗に印刷していただけるか、心配でしたが、
スキャンをかけてPDFで編集部に送ったら、期待以上の仕上がりでした!
ジョン・フィールドの生涯 (「ショパン」 2007年9月号)
没後170年を記念しての特集。超絶技巧的な演奏がもてはやされた時代に、
カンタービレ奏法で音楽界を魅了したフィールドの生涯、
そしてノクターンの誕生とその影響について書いています。
娯楽としての喜歌劇の役割〜19,20世紀のウィーンを例に
(「音楽の世界」 2007年8・9月合併号)
日本音楽舞踊会議の主催による喜歌劇コンサートに合わせて特集された「オペレッタへの誘い」への寄稿文。オペラより格下とされてきた喜歌劇が、当時のウィーンでどのように受け入れられていたのか、
どのように必要とされていたのか、探りました。
好奇心旺盛なウィーン市民が喜歌劇を楽しむ様子も書かれています。
「民族のハーモニー」に魅せられた作曲家たち20人 (「ショパン」2007年5月号)
「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャパン」開催に合わせて特集された作曲家たち20人の紹介です。
1848年の革命を皮切りに盛んになっていった民族主義音楽。
その革命と作曲家たちの関連がわかるような年表も作成しました。
それぞれの作曲家の簡単な紹介と、プログラムのなかからお薦めの1曲をピックアップして解説しています。
チェルニー練習曲の不思議 (「ショパン」2007年4月号)
特集「チェルニー再発見」のなかの一稿。
「何曲あるのか?」「当時の評判は?」「どれくらい弾かれてきたのか?」「日本では?」
・・このような編集部の質問に答えるべく、新たに紙面を構成して、チェルニー練習曲の全貌を書いています。
90冊も残された練習曲、「練習曲の作曲家」と呼ばれた当時のチェルニーの生活、
チェルニー練習曲の出版状況、日本で使用され、音楽大学の入学試験曲として定着していく様子を書いています。
グリーグの生涯とその作品〜民族ロマン主義時代に生きたコスモポリタン
(「ショパン」 2007年3月号)
没後100年を記念してのグリーグ特集。
祖国ノルウェーを愛した素朴な作曲家、としてのイメージが定着しているグリーグですが、
実は幼年期にモーツァルトやショパンに親しみ、ライプツィヒに留学の経験もあり、リストとも親交がありました。
本稿では、グリーグの民族主義的な音楽が、国内ではなく、むしろ国外への強い関心から生まれてきたものではないか、という仮定のもとにその生涯を書いています。
ピアニズムの追求と宗教性の志向 リストの生涯と作品 (「ショパン」 2006年11月号)
超絶技巧ピアニストとして人気のあったリストが宗教音楽を志し、バイロイトで客死するまでの生涯を辿りながら、その時々に作曲された主要なピアノ作品を紹介しています。
シューマン その生涯と作品 (「ショパン」 2006年7月号)
1月号で書いたものとは別のシューマン特集。
7月29日が命日なのでその時期に合わせての特集でした。
クララとの結婚、躁うつ病と戦い、そして死後に作品がどのように伝承されたかまでを辿っています。
ピアノ作品についてのコラムも数点載っています。
ウェーバーの作品と生涯 (「ショパン」2006年6月号)
この年、生誕220年となったウェーバーの作品と生涯を概観しました。
12歳でオペラを作曲するなど、早熟な才能を発揮したウェーバーでしたが、
生まれつき虚弱で、音楽活動も決して順調ではありませんでした。
40歳で世を去った波乱の生涯が書かれています。
地図で辿るモーツァルトの旅 (「ショパン」2006年5月号)
モーツァルト特集のひとつ。
生涯に、長期間にわたる演奏旅行を17回も行っていたモーツァルトについて、
地図を辿りながら、それぞれの演奏旅行先とその目的を解説しました。
年代を追うごとに、演奏旅行の訪問先も目的も変化していく様子がわかります。
シューマンの生涯と代表的な作品について (「ショパン」2006年1月号)
2006年にメモリアルイヤーを迎える作曲家特集のなかで、この年、没後150年となったシューマンを担当。
生涯や年譜、代表的な作品についてまとめています。
バッハ特集 生誕320年によせて (「ショパン」2005年7月号)
〜演奏家としてのバッハ、バッハと子孫たち
バッハ特集のなかで、あらゆる楽器に精通したバッハについて、その演奏ぶりを紹介しました。
また、20人の子供たちがどのような人生を歩んだのかも追跡調査しています。
20歳の大作曲家たちは「大音楽家」 (「ショパン」2005年1月号)
1月号で「成人式」を意識した特集。
バッハからラヴェルまでの12人の作曲家たちの20歳のときの様子を比較した面白い企画でした。
17,18世紀生まれの作曲家、19世紀前半、後半にグループ分けしたところ、
19世紀に相次いで設立された音楽学校の存在や、音楽家の分業化により
作曲家のあり方が大きく変わる様子がわかりました。
遅咲きの作曲家 ドヴォルザークの生涯と作品 (「ショパン」2004年6月号)
ドヴォルザーク没後100年を記念しての特集。
肉屋の息子として生まれたドヴォルザークが、長い下積み生活を送り、作曲家を志す過程を書きました。
ブラームスの推薦を得て国際的な作曲家へと一気に評価が高まります。